横浜元町に伝わるミステリー・・・幻の階段
明治大正期の元町には、元町二丁目から山手の丘を登る、急な百一段の石段があり市民からは『百段』と呼ばれ、親しまれた階段道がありました。そこは、神社への参道で、丘の上には由緒ある神社の祠がありました。
たいそう眺望が良く、港を一望できる見晴台や茶屋が設けられ、港の船の出入りや、関内地区や遠く神奈川宿の旅籠や茶屋まで見渡せ、多くの日本人や居留外国人が訪れたと言われています。
しかし、実は幻の名所と言われるがごとく、現在、『元町百段』は存在しないのです・・・。
何故??? ミステリーはここから始まるのです・・・😱
歴史上の神話か?
1923年9月1日、あの未曾有の関東大震災が発生(私が生まれる前なので実感がないですが・・😆)、この石段はことごとく崩落し、丘の下の数十軒の家屋を押しつぶし多くの犠牲者を出したとされています。その惨状は酷く、修復するには不可能な状態だったそうです。その後、この石段が再建されることはなかったのです・・・・。😥
時は60年以上過ぎ去り、人々の記憶も『百段』の石段も薄れかけた頃・・・『元町百段』を偲ぶものとして、1987年に神社跡に「元町百段公園」が開園されました。そして、1991年には元町商店街に完成した商業ビルには「百段館」と名付けられたのでした。しかし、『百段』の石段は再建されることはなく100年の時が過ぎ、歴史上の神話、幻と化したのでした・・・・。😢
「高田坂」&「百段坂」
現在、昔の『百段』を偲ぶものとして、元町の代官坂通りの中程から百段公園までの階段があります。ここは、元町商店街の背後にせり立つ丘の上の尾根道をたどり山手本通りへとつながる「高田坂」と呼ばれ、別名を「百段坂」とも言われています。結構きつい階段が続き昔の『百段』を思わせる階段です。看板がある訳でもないので、あまり知られおらず、ひっそりとしています。周りは、普通の民家が立ち並ぶので、敢えて目立つことは避けてるのかもしれません。
歩いて全部の段数を数えたら94段?ぐらいでした、百段には足りません・・・😆
今回は、『百段』の歴史に思いを馳せ、この「高田坂」別名「百段坂」の階段道をスケッチしました。😝
元町百段公園
この階段を登り切ると、程なく『百段』の歴史を残すために作られた「元町百段公園」に到着します。
この地には、神社があったので、神殿の名残として、柱が何本か立っています。(本当だったら木造の柱なのだが、腐食などを考え石柱で設置されたのではないかと想像するが・・・・ギリシャ神殿のイメージ?・・)
昔とはいい難いですが、元町から、みなとみらいの高層ビルやマリンタワーが俯瞰で眺められます。桜の季節は、付近に一本だけ桜の木が満開の花を付けます。公園内に花壇があり、薔薇の季節は薔薇が咲きます。町内の方々が、大切に世話をして管理されているようです。
昔の百段の場所は?
ところで、昔からあった百段は、どの辺りにあったのでしょうか?
ここから、このミステリーの謎解きをしてみましょう。
中華街の朱雀門(南門シルクロードの入り口に作られている門)の道から前田橋を渡り、現在の百段通りを真っ直ぐ山手側に行くと元町中通に当たります。
ちょうどフレンチの有名店『霧笛楼』の場所です。その辺りが、この幻の石段の『元町百段』があった所と言われています。
この、『百段』の歴史は、あまり知られておらず、地元の人でも、年配の方々しか知らないと思いますが、元町の歴史として、大切に残して語り継がれてほしいと思います。
山手本通りから、フェリス女学院の汐汲坂の信号機の横の道からこの百段公園に行けます。ただし、車ではいけません。車で入っていくと、∪ ターンする所がないので、くれぐれもご近所さんの駐車スーペスで∪ターンするなどという迷惑を掛けないようにお願いします。
元町百段の詳しい記事はこちらで↓
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